2017年5月3日水曜日

写真の表題とコメント

写真になぜ表題とコメントをつけるか、という話です。

写真はそこにある一枚がすべて。それなのになんで表題を付けるんだろうという単純な疑問です。写真を使って「これが只見線ですよ」っていう宣伝をするには、表題とか説明を付けるほうが好都合です。でもこれは宣伝の一環としての写真です。 写真そのものの善し悪しは、文字情報に頼らずに評価したいし、評価されたいです。

写真そのものがメッセージを持ち、それが評価されることは大事ですが、その一方で良い表題とコメントは観衆を写真の世界へうまく導きます。これは特に観衆が被写体に馴染みがない場合に重要です。たとえば只見川第一橋梁の春夏秋冬を4枚組で出すとします。そこで「只見川第一橋梁で撮るまでは、同じ場所の撮影は1回だけにするって決めてたけど、季節によって表情を変える自然と、人間の営みの一部である鉄道の組み合わせに魅せられた」と言うことで、只見線の写真や只見川第一橋梁の写真を見たことがない人も、この組写真の楽しみ方がわかります。

コメントは見てる人と写真そのものの間にギャップがある場合に、これを埋めるように添えられているべきものだと考えています。写真が主体である展示会や写真集では、コメントは写真そのものより大きな声で主張すべきではありません。 コメントでは技術不足により写真で表現しきれなかった撮影者の気持ちを述べてはいけません。またコメントで写真の解釈を強いてはいけません。只見川第一橋梁をよく知る人がコメントを読まずに組写真を見て楽しんでいるときに、ふとコメントを見ることでその楽しみを削いではいけません。只見川第一橋梁の春夏秋冬では「季節によって表情を変える」とだけ書くことで、具体的にどう表情を変えるのか、また表情の違いは何か、これらの詳細は見る側に観察させるべきです。あまり具体的に、そして詳細に写真のことを説明しすぎると、見る側の特権である解釈の領域を狭めてしまいます。

表題やコメントは、見る側が作品を楽しむに際して必要なものです。ただしその内容は最低限の背景と情報を提供し、作品の良さを最大限引き出すように書けば良さそうです。

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